生命と平和の歌     林晶彦


心の架け橋

悲しみの あくる朝には 雪景色

2001年1月26日午後7時15分、東京JR新大久保駅で線路に転落した人を助けようとして亡くなられた韓国の留学生李秀賢(イ・スヒョン)さんに捧げた俳句である。

その日、私はピアノの録音のため東京に来ていた。 翌日新聞で昨夜の事故を知った。東京は何十年かぶりの大雪で白銀の世界だった。

その前年の暮、東京賢治の学校でコンサートがあった。その時、桜美林大学の教員である中村雅子さんから「日韓の歴史と文化を学ぶツアーにいっしょに参加されませんか」と誘われた。それがはじめての韓国行きのきっかけだった。その後中村さんから大東文化大学の尾花清先生を紹介され、韓国の旅を楽しみにしていた時のことであった。

李秀賢さんのことが強く心に刻まれた。 何か自分にできることはないのかと思った時、曲をつくり韓国でのコンサートで捧げようと思った。

悲しみの あくる朝には 雪景色

母がその息子を呼ぶように悲しみの雪が降りそそぐ・・・・・「悲しみのシチリアーノ」という曲が生まれた。


夢の継承

テープと詩が送られてきた。新しくできる短期大学の校歌の歌詞「生命と平和の歌」であった。作詞されたのはプルム農業専門高等学校の校長である洪淳明先生。夢と理想をおおらかに歌う詩の内容だった。日本人の私に韓国の新しくできる大学の校歌の作曲を依頼してくださった洪先生の人間の大きさに心を打たれた。

3月25日(日)初めての韓国へと旅立つ。

ソウルに着いて外国に来たという違和感が全くなかった。しかし過去の歴史をふりかえる時、悲しいどうしようもない現実を見なければならなかった。

西大門(ソデムン)刑務所跡、堤岩(チェアム)教会、そして光州の望月洞(マンウォルドン)墓地、光州事件記念館。

行く先々、どこも戦争の傷跡、今も消えない苦しみ憎しみ悲しみ・・・・・ 身も心も痛かった。

どんなつらい過去であっても現実の歴史を知ったことはとても大きな体験であった。

そんな旅の中、唯一過去の呪縛に捕われていない学校があった。それは闇に輝くあたたかい光のように感じられた。とても広々とした自然の中にプルム学校はあった。

あの校歌の歌詞をつくられた洪先生にも、お話をうかがうことができた。

経済を優先せず、生命を優先すること。聖書から学び、人間としての全人格教育をめざしておられることなど・・・・・。

私自身も15才で学校をやめ、17才でフランスのパリに音楽の勉強に行った。その後も、イスラエルに住みいろいろと自分なりに考えてきたことがあった。学校というところにはどうしてもなじめなかった。まず採点され、競争があり、他者と比較される。学校の勉強はしなかったが、自分の本当に知りたいこと学びたいことやりたいことは独学でやってきた。そして、生きる意味、人は何のために生まれてきてどこからどこへ行くのかという永遠の問い。

パリに留学中、3年目に大きな病気になった。死線をさまよった時に出会った魂の光。その体験は私をイスラエルへと旅立たせた。

洪先生もきっと同じことを信じ考え生きようとされている。 自分を超えたもっと大きな次元で、人と人、国と国、の関係をとらえておられる。韓国と日本の過去も、その現実を受けとめながらも、なお許し、信じ希望をもって生きようとしておられる姿勢に感動と共感をおぼえた。

洪先生のお話を聞き、プルムの広々とした自然の田園風景にふれ、心が解き放たれるような思いがした。

 

共に生きる夢


夜は生徒たちの前でピアノのコンサートをした。洪先生と尾花先生のお話ではじまり、私も少し自分の体験談などを話してからピアノを弾く。銀河鉄道の夜(宮沢賢治作)の舞台のために作詞作曲をした「子守歌」をハングル語に訳してもらい、生徒たちみんなと合唱した。子供たちとの出会いは何のとらわれもなく明るく楽しい。 心温まる幸せなひと時だった。

翌朝、外は大雪だった。(3月28日) 3月の終わりだというのに気候は日本よりずっと寒かった。 見わたす限りの白い原野―。

プルム学校のある洪城(ホンソン)より天安へバスで移動。ムングンファ号(鉄道)に乗って光州へ。

望月洞墓地参拝、参加者全員で焼香し共に祈る。光州事件記念館見学。 あまりにも痛ましい事件、軍が民衆を殺戮してゆくむごい写真展示を見る。 とても衝撃的な写真がたくさんあった。 自分自身どうこの事件にかかわったらよいのかわからなかった。韓国の人々の苦しみ悲しみ怒りはどんなだろう・・・・・

わたしたちには計り知れない。

その光州事件のデモのはじまりともなった全南大学を訪問。そして芸術科の教授陣、生徒たちの前で、音楽科の教授(通訳付き)と対話形式で話をしながら自作の曲を演奏。

ここにくる前の光州事件記念館の衝撃があまりにも大きかったため、はじめは何を演奏したらよいかわからないくらい動揺していた。

2曲目は即興演奏をした。そこに今見てきたばかりの印象というより、叫びのような衝撃をピアノにぶっつけた。 共同墓地を歩いている時、殺された若者たちの写真などを見ても涙はでなかった。ただ、切ないまでの痛みと悲しみを体中に受けていた。

しかし、いざピアノに向かってみると私の胸につまっていたものが一気に流れ出た。 それは私だけの感情ではなく、殺された多くの人たちの叫びのようなものが怒りと悲しみの渦巻くものとなって、私とピアノを貫いて立ち現れてきたように思えた。

光州と言えば韓国に行く前はある音楽の題名として知っているくらいのものだった。

しかし、ここに実際に来てみて体に受けたものは、言葉では表せないものだった。

その音楽とは韓国の現代作曲家 尹 伊桑(ユン・イサン、1917~1995)の「光州よ永遠に」という曲である。(私は、まだその曲を聞いたことはないのだが)彼自身、朝鮮民主主義人民共和国のスパイとして告発され、死刑判決を受けた人でもある。その事件の時、ベルリンでいてもたってもいられない気持ちで作曲したという。

全南大学のコンサートの中で私は尊敬する作曲家として彼の名をあげたが、作曲家の教授は「知っている」というだけでそれ以上話は続かなかった。

そういえばソウルで尾花先生の知人で高校の音楽の先生たちと食事をしていた時も、その事(尹 伊桑とその当時の事)は「日本人には理解できないだろう」と言っていた言葉が思い出された。

コンサートのおわりにあの日本で亡くなった李秀賢さんに捧げる曲を演奏した。

韓国の大学生たちがどういうふうに受けとめ感じるかは分からない。ただ私にできることは、音楽によって心をかよわせること―。

翌3月29日(木) 光州から全州へ。

東学農民革命記念館や運動遺跡などを見学。 その後、韓国の伝統の茶店に入り、お茶の入れ方を教わったりして心休まる一時をもつ。そして韓国で一番古いロマネスクビザンチン様式のカトリック教会に行った。

短い時間だったが聖堂の中に入って魂の安らぎを味わった。

3月30日(金) 光州からセマウル号にて

ソウルを経てナヌムの家見学。従軍慰安婦歴史館見学。展示室見学後ハルモニたちにお会いして、手を握る。とてもあたたかい手だった。そこにはピアノがなかったので、「子守歌」を何人かで歌い聞いていただいた。

外に出ると大粒の雪が降りそそいでいた。あたりはまっ白のベールに包まれていた。

今年(2001年)、これで3度目の大雪にあった。不思議な縁を感じる。再びあの俳句がよみがえった。

”悲しみの あくる朝には 雪景色”

はじめての韓国の旅から帰ってきて想うこと、考えること。

踏みにじられた国土、戦争、独立、民族の声、民衆の声、今「朝露」の歌を聞きながらいろんなことに思いをはせる。私は韓国の旅から何を学んだか?そしてこれから一人の人間として、音楽家としてどう生きていったらよいのだろう。

日本とは?日本人とは何だろう。

国とは?国境線とは何だろう。

宗教とは何だろう。そして平和とは・・・・

いろんな疑問や矛盾に毎晩悩まされ、眠れない日々が続いた。

「友人と親しくすることはやさしい。 しかし敵と思っている人を助けることこそが真の宗教の真髄である。」

マハトマ・ガンジー「私にとっての宗教」より

マーティン・ルーサー・キング牧師もインドのガンジーから大きな影響を受けたという。今も9月11日のニューヨークでの同時多発テロ事件以来、アメリカによってアフガニスタンへの報復が続けられている。

私の敬愛する日本の作曲家、今は亡き武満徹氏の言葉も、今の私たちには心に響く。

「人間が結びつくためには人間はあまりにも虐げ合い疑うことを繰り返しすぎたのだ。 としたら生きるために、僕たちにはどんな方法が残されているのか。人間の結びつきは行為の中に自分のすべてを没くした時にだけ可能なのだ。 その時、世界は大きく拡がって自分と他とは区別できないものとなる。 それは愛だ。僕たちには愛だけがある。愛することだけが僕に未来への確かさを感じさせる。 そして、僕の中に表現と行動が生まれて来る。」      

武満徹「音楽芸術」1957年10月

韓国から帰って精神的な喪失感からうつ状態が続き病院通いもした。 そんな中でも、校歌の作曲のことはいつも心にあった。何度も歌詞を読み返した。

日本語とハングル語を交互に・・・。 そうしている内にある日ふっとメロディーが聞こえてきた。広々とした田園風景や出会った子供たちの笑顔と共に。

その時の私の状態は最悪だったにもかかわらず、その旋律にはひとかけらの暗さもなく明るかった。私自身、慰められ励まされているようであった。

「プルムで槍から鋤をつくり プルムで刀から鎌を作ろう」で、はじまるその歌詞は生命と平和を願う希望の歌だ。

( 後に洪先生からうかがったのだが、歌詞は旧約聖書のイザヤ書からの言葉だそうだ )

作曲した歌をハングル語の先生に聞いてもらって、音と言葉が自然で歌いやすいように何度も手直ししていただいた。そして校歌が完成。すぐに韓国に郵送した。

 

生命と平和の歌 

11月7日(水)二度目の韓国への旅立ち。

今回は、新しくできたプルム短期大学の校歌の発表とピアノコンサートのために旅立つ。

飛行機の中から下の方に白い雲が浮かんでいる。海のむこうに韓国(からくに)が見えてきた。何か親しみのあるなつかしさがこみ上げてきた。

プサンの金海(キムヘ)国際空港に着く。プサンは今回はじめて。税関のところでいろんなハングル語の表記が目につく。以前は記号にしか見えなかった文字が読めるようになっているので思わずうれしくなり笑みがこぼれる。 三月から勉強してきたハングル語、少しは効果がでてきたみたい。

プサンの浜辺は美しかった。 カモメたちが楽しそうに群れをなして海の方をじっとみている。あるものはカモメのジョナサンのように低空飛行を楽しんでいる。

プサンからセマウル号でソウルへ。

ソウルのYMCAで尾花先生、中村さんと合流する。 翌日、韓神大学の先生方ともお会いしたのち、ソウル駅からプルム学校のある洪城へ出発。電車の中は満員だった。

洪先生がわたしたちを迎えてくださった。

明日の落成式が中止になったことを伝えられた。 少しびっくりした。村の道路の関係などでどうしても許可がおりないらしい。

しかしコンサートと校歌の発表は予定通りに行うことになる。 ひとまず安心した。

夜中、一人で外に出ると満天の星空・・・ 三日月が闇の中にくっきりと光っている。

明日のコンサートのために祈った。 月の約束を信じて―。

11月10日(土)夜7時

小さなピアノでのコンサートがはじまった。

自作のピアノ曲「月のめぐり星のみち」から弾きはじめる。曲の解説などを交えながら。通訳として同行してくださった徐玲蘭さんの朗読にピアノ即興演奏をした。尹 東柱(ユン・ドンジュ)の「序詩」という詩だ。


死ぬ日まで空を仰ぎ 一点の恥辱なきことを

葉あいにそよぐ風にも わたしは心痛んだ

星をうたう心で生きとし生けるものを いとおしまねば

そしてわたしたちに与えられた道を 歩みゆかねば

こよいも星が風にかすめふかれる


彼は植民地時代に日本に留学したが独立運動の嫌疑をかけられ、二十七歳の若さで獄死した。

それから李秀賢さんに捧げられた「悲しみのシチリアーノ」を弾いた。ふと客席を見ると涙をふいておられる女性の姿が目に入った。

“国超えて 悲しみの橋 かけられぬ”

そして校歌の発表。このためにソウルからオペラ歌手の方が来てくださった。まずはじめに、私のピアノ伴奏で彼女が独唱し、次に生徒たちとコンサートに足を運んでくださった村の人たちみんなで合唱した。私はピアノ伴奏をしながら、こみあげてくる共感の輪に胸が熱くなった。「今ここに心の橋が架けられた!」と実感した。心が触れ合う「出会い」のコンサートになった。

李秀賢さんも韓国と日本の橋になりたいと言われていたと聞いた。 真の橋とは、人と人の心の橋だと思う。 そして、真の平和も人の心の中からはじまるのだろう。人から人へ・・・・・。

こんなに素晴らしい出会いをつくってくださった中村雅子さん、ありがとう!そして、十年にわたって韓国と日本の本当の理解と友情の橋となって働いておられる尾花先生との出会いに、心から感謝したいと思います。

帰りプヨを訪ね二千年の歴史が生きている新羅の古都、慶州を旅した。 遠くまで見わたすかぎりの山々の造形は自然が織り成す交響詩のようだった。

美しく紅葉した山道を歩いた。

芸術的な文化遺産に触れ、時空を越えた歴史と自然から響いてくるはるかな交響詩の余韻を聞きながら、慶州に別れを告げた。


この文章を書きながらも、プルム学校の広々とした田園近くを一人歩いていた時の情景を思い出している。

夕日に照らされながら広大な大地に見入っていた。鳥たちが群れで樹の上で歌っている。

山々には樹々の音楽が流れ、

野山を平和で満たさん。

天と地は日々新しくなり、

すべての生命を蘇生させん。

「生命と平和の歌」より



※日韓教育フォーラム 第12号(定価¥600)より掲載


 

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